言葉贈り

もうあっという間に年末だね。

つい先日クリスマスだったのに。

 

今日ね、電車で実家に帰ってきたんだけどね。すごく晴れてる中で雪が降っててなんとも素晴らしかった。

 

なんだかキラキラなんだよー。

その中で好きな曲を聴きながら、

これがまた至福の時間です。

忘れたくないなあ、この映像。と思ったけど忘れるだろうね、きっと。

 

今年はどんな一年だった?と聞かれたら

変化の大きい一年だった、と答えます

 

いろんな状況が一年前とは全然違う。

私の心も全然違う。

でもまあ毎年いつも違うけどね、

なんかね、いつもとは違うよね。

だけど、そんな中で不変的な想いは

変わらないなあと思います。

 

日々、生活をしていて

みんなとコミュニケーション取り合って、言葉を贈り合うでしょ?

それが、いいなあ、やっぱり。

としみじみ感じている。

 

直接会って、瞳を見合って、

相手の反応みながらとるコミュニケーションや、言葉の贈り合いは素敵だけど、

 

直接会ってることで、照れちゃったり

熟考する時間がそこに無くて、自分の伝えたかった力を出し切れなかったりっていうのは、やっぱりあるよなあ、と思って。会ってもなおあるんだよ。

 

だけど、ラインやメール、お手紙だと

熟考しながら、ゆっくり言葉選びができて、それもまたすごく素敵だなと。

 

どうしても会えない時に、

思いを伝えることのできる本当に

貴重なコミュニケーションツールだなあと思う。

 

会う、のと、

送る、のと、

 

両方とも、とても大事だなと実感してる

 

会った時に言えなかった、伝えることができなかった部分を、言葉で丁寧に表現し、

 

そのメールやお手紙で伝え切れない

言葉にならない想いを、会って空気感ごと伝え合う。

 

どちらも共に補い合ってるなあ

 

いいねえ。だから両方をちゃんと駆使しながらちゃんと受け取り、送りたい

と思うなあ。

 

 

でも、贈るじゃん。

でも、贈りだしたらもうその後は

受け取り手次第だからね。

 

贈るまでにあたためて、あたためて

熟考して、試行錯誤して、

より届くように祈るしかないね。(^^)

 

もう自分の手を離して贈り届けたなら

それは相手に任せるように、したいね

 

そこをごちゃごちゃ言うのは

なんかかっこ悪いよね。

 

想い合う感情の贈り合いは

この世にとても必要で、

わたしにも、とっても必要だなと思ってる。

 

ずっとずっとこれが欲しかったんだよ。

みんなと、こういうことがしたかった。

今、徐々にできてきている自分を褒めたいし、そんな自分に変えてくれた人たちに感謝したい。

 

相手があったかくなる言葉を

たくさん贈りたいなあ、と思います。

 

今年一年ありがとうございました。

皆さま、良いお年をお迎えください。

来年も、どうか、どうぞ、

よろしくお願いします。

 

不変的はどんなこと?

今日メールが来ました。

はてなブログを始めて1年が経ちましたよ、と。

 

なにかを変えたくてはてなブログを始めました。変わったかな〜〜。

周りの環境はもちろん変わるけど、

心の芯とかはどうかなー。

変わったかな?変わらないかな?

 

何を書こうかなー。と思って。

 

そうそう最近、やっぱり受容できる人になりたいなあと、しみじみ思って。

 

今日もね、ある人に

「その服、すごく変だよ」って

言われた。

まあ、母親に言われたんだけどね。

小さい頃から結構否定されて来た気がする。その髪型変だよ、とか。

しかもね、もっと良くしようと思って言ってないのよ、これ。

どういう心理なんだろうね。

私の思う通りにしたい、とかかな。

ダメだ。暗い話になっちゃう。

やめよう。(笑)

 

とりあえず、どうしてそんな事しか言えないんだろう、と漠然と長年思ってる。

 

だからかなあ。

私は人のことを受容したいよ。

否定なんて、しようと思えば簡単なんだよ。必ず物事には陽と陰があってプラスとマイナスがあるんだから。

否定は小学生にだってできるよ。

だけど、受け止めたり、受容したりするのって簡単じゃないよね。私は知ってる。それが簡単じゃないことを。

 

だから、なるべく受容したい。

まあそれには根底に好意があることが必要かもしれないけどね。

 

 

相手に自分の想いを伝えるのは

すごくすごく難しい。

言葉にならない想いなんてごまんとある

まあ、それを行為で示せばいい話なのだけど。言葉を信じるな、と言われることもあるけど、

 

私はせっかく言葉を持ってる人間なんだから言葉を使わない手なんてないと思うけどねー。

 

大好きな人たちに何か伝えたい時、

流動的な想いと不変的な想いがあると思う。流動的っていうのは、最近の起こった事に関してとか。たくさん聞いて欲しいことがある。とか、

 

でもねー、限られた中で伝えないといけない場面がある。それだと削らないといけないんだよね、流動的なものは。

限られた中で伝えるなら不変的な想いの方かなあと思う。

その人に対して、常に、いつも

不変的に思ってること、根底にあること、

 

それを上手く伝える方法を今考えてます。みんなに対して想ってる不変的な想いはどんなだろう。考えてる。

 

ここ数日、ちょっと感じることが多くて

心がパンクしちゃいそうです。

 

私の不変的な想いってどんなのー?

 

なにかを

世界で一番古い治療法って何か知ってる?

 

薬も治療も何もない頃から

人類は祈ってたらしい。

 

祈りの儀式として歌い、踊る

その他もね、いろいろあるよね。

 

祈る事でそれが本当に

奏功するのか、

ずっとわかっていないのに、

 

人間は祈ることをやめれないんじゃないかな〜と思う。

 

この先、スマホが無くなっても、

空飛ぶ車ができても、

どんな便利な未来になっても

祈る気持ちとか、願い、願うのって

やめれないんじゃない?きっと。

 

なんでやめれないんだろうね。

私はいつも祈っちゃうよ、

願っちゃう。

 

少しでもほんの少しでも

いい方向へ向かうよう、

 

それが奏功するのかわからないけど

 

祈らないよりかはいいんじゃないかな

 

今もずっとずっと

何かよくわからないものを

祈ってます。

 

なにを?自分を?誰かを?しあわせを?

 

いつかすべて

果てるのが

わかってるからね。

 

寒いね。冬だよ。もうすぐ

いたちごっこ

「いくつになった?」

 

て聞かれて、なんだか嬉しくなりました

心の中で答えたよ。

聞こえもしないのにねー。

今度、お手紙でちゃんと書こう。

 

なんか、またひとつ歳を重ねて、

尊敬する人生の先輩方は

今の私の年齢の時、どんな感じだったんだろーと考える。

 

どんな考え方をしてたの?とか

どんなことが楽しかったの?とか

 

すごく興味があるよ。

 

その人たちの、あの時と

私も同じ年齢になったな〜て

ちょっと

あの時のあの人と、今の私のを

重ね合わせて考えてみるけど。

 

その妄想から帰ってきたら、

やっぱりその人は常に

先をいってるんだよね〜〜。

妄想から帰ってきたらもう年上。

 

あ〜〜やっぱり先にいるんだなあ

常に先にいるんだなあと思う。

 

当たり前なんだけどね。これ。

普通なことなんだけどね。

 

私、このことを

年齢のいたちごっこと、よんでいます。

 

 

なんだろうね、この感覚。

 

社会人になって、同年齢の異性に

出会うことがほとんど無くなった。

みんな、だいたい年上の方々。

 

あ、そう、これ異性の話です。

あーえっと好きな人の話じゃなくて

尊敬する異性の人たちのはなし。

どうしても同性と異性は違うからね。

 

永遠のいたちごっこだよね。

永遠にその距離が縮まることはないよ。

 

年齢のいたちごっこを考えると

いつも不思議な感覚になる。

 

逆の立場ってどうなんだろう?

なんで考えたことないんだろう。

 

 

いくつになった?

思うこと

まだ、密室にするにははやいと

思ったので、みなさんよかったら

きいてください。

 

私には最近いつも思うことがあります。

 

すごいなとか、可愛いな、とか

思う人にその言葉を投げかけると

人間は、その投げかけられた言葉の通りでいようとするものなんだそう。

 

頑張り屋さんだね、と言われたら

その人の前では頑張り屋さんを演じたりしてしまうものなんだそう。

 

私はなんでだろそれって考えたら

極論、幻滅されたくないのかな、と思って。

 

可愛いって言われた、幻滅されたくないから可愛く頑張るとか。

 

その人のつくりだしてくれた自分へのプラスのイメージを損なわないように、努力する。

 

幻滅されるのが、怖い。

 

だから私は一度信頼した人に対してそう簡単には幻滅しないと決めているし、

 

みんなー、幻滅はそう簡単にしないから!私は。

 

人に安心感を与える人になりたいと

常に思います。

 

仕事をするにしても、何をするにしても

いかに互いが気持ちよく過ごすことができるか、

 

だから視覚からはいる情報である身だしなみはとてもとても大切だなと思ってます。

 

いつか、この仕事をしてる自分が好き

この仕事を考えてる自分が好き、

すごく尊敬する方と一緒にお仕事できる、みたいな日が来るといいなあ。

 

これ、ずっと下書きにしてたやつ。

 

でもさー。

優しいなあとか、すごいなあとか

思ったらそれ伝えたくなっちゃうよね。相手にプレッシャーを与えず、

それらをうまく伝えるいい方法

何かないかな?それずっと探してる

 

優しいよね。でも、人間って優しいねって言われたらその人の前ではその通りの人間でいようって思っちゃうんだって。

だから、私の前で無理にずっと優しい人でいなくていいよ、優しいのわかってるから(笑)

 

 

って?な感じ?

 

 

むむむ、ながいな、

難しいな、どうすればいい?

雪よ、早く、だけど

私、やっぱり冬が好き。

今、冬のドラマ見直してるけど、

それ見てた時の感情とか雰囲気を

思い出す。ちょうどその頃、

雪がしんしんと降っている頃に

このハテナブログを始めたなあ。

 

私は、自分の思いや感情を

出力することで、言語化することで、気持ちが落ち着く。

でも出力するには、アウトプットするためにはインプットしないといけない。

 

インプットあっての、アウトプット。

だからたくさんインプットしたい

と思ってる。いろんなものに

触れたいし、みたいし、感じたい。

 

だけど、その好奇心の中で

もちろん、良い物事への触れ合いだけじゃないよね。嫌なことだってあるし、後悔だってあるし、

 

人生いろいろあるな〜〜と

頑張って思うことにしている。

いろいろ咀嚼してる、今。☺︎

 

あ〜〜なんか

ニット着てうずくまりたい〜〜

マフラーして、鼻まで隠れてるじゃん

みたいなモコモコになりたい。

マフラーから瞳だけ出ててキョロキョロしときたい。そして寒い空気のなかでホットココア飲みたい。

なんの願望なの?これ。笑

 

2013年、しんどかった、

でも2014年から持ち直した、

頑張った。

とても頑張った4年だったよ。

誰かのために頑張った4年じゃない。

自分のために生きた4年だよ。

 

その成果をちょっと感じたかった。

成長したよって、成長した自分を

見て欲しかったんだよー。

何が成長したのかちょっと具体化するのは難しいけど、

今の私なら

あの時より大丈夫だよって思った。

 

自分のために。

だけどこれは私の良くないところで

いつもいつも自分のことばかり、、

改善させたいな。

 

時を刻むね、

けど、いつか果てるね。

いつか腐るね。

いつか死ぬね。

 

ずっと冬なんだよ、雪に埋もれそうで

ずっとずっと雪の中から手を突き上げてるんだよ、誰かにグッとその手を引いてほしくて。

だからそんな冬が早く終わって欲しかったんだけど、なんで今、また冬を求めるんだろー。やっぱり冬が好きなのかな。無い物ねだりかな。雪もちょっとみたいなあ。

 

冬なのに、まだ冬求めるの?みたいな

矛盾してない?みたいな。

 

矛盾だらけの行動と感情だけど

いつか、

どうにもこうにも

こんな事言っちゃったんだよね、

ごめんね、って

 

みんなといろんな物事に

言いたい、かもねー。☺︎

 

 

雪よ、早く、だけど

全部大事だからね。

 

 

 

一期一会とは

中学校の部活の先生が言ってた記憶がある。その当時は、なんか、この言葉が軽く聞こえて。みんなが使ってる感じ。あの中学生の感じ。クラス目標にしちゃう感じ。だからあんまり好きじゃなかった。

 

し、あんまり意味を理解してなかったと思う。まあ今も本当の意味では理解できてないけど、多分。

 

いちごいちえ【一期一会】

① 〔茶会に臨む際には、その機会は一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ、の意〕 一生に一度だけ出る茶の湯の会。 〔千利休の弟子宗二の「山上宗二記」にある「一期に一度の会」とあることによる〕
② 一生に一度だけの機会。

 

大辞林 第三版より  だそう。

 

一生に一度のこの出会い、大事にしよう

って簡単なものじゃない気がする。

 

いつ最後になるかわからない、

あの日が最後だったかも とか

いつ死んでもいいように覚悟して

人との対峙に望んだりする人もいるだろうけど、果たしてどのくらいの人がその本気の覚悟を持っとるんだろうね〜〜

 

一期一会を想い、その数時間のうちに

全部を込めれる?そんなことできる?

そんな覚悟できる?

 

私の長年書いてきたお手紙は、

いつ死んでもいいように、

あれを伝えておけばよかった、もっと言っておけばよかったなんて思うことがないように、自分の気持ちの全てを、ぜんぶを惜しみなく出そう出そうと思って、思い残す事はない、と思えるまで書こうと思って書き始めて早8年。その覚悟はいつできるんですか、自分よ。(笑)

 

まあ、でもいつか必ず終わりは来るなとは思ってはいる、そこに覚悟はないけれど。

 

その人と会って、自分の全て発揮するとか、だす、とか、伝えるとか

それが出来る日は来るの?

来ないかもね〜〜(笑)

 

そんなこんなで人生終わっていく気もするね。

 

覚悟ってなんなんでしょう。

本当の優しさってなんだろーって

これはもうずっとずっと考えてる。

 

みえない場面、みえない部分を

想像して、妄想する

 

そのみえなかった部分を会って確かめる。自分の瞳で、耳で確かめる。判断する。

 

それが優しさの流れかな。私の思う。

人のみえないところでするのが、

本当の優しさよ、とおばあちゃんが教えてくれた。これで合っとる?

 

みんないろいろある、

みんな闇がある、みえないところで

いろいろある。

それをちゃんと頭のどこかでわかってる人でありたい。けど、都合のよい人とは思われたくない。ワガママですな。

 

果たして、一期一会の覚悟が

出来る日は来るのか?

来ない気もする。

 

でも、そこで果たせなかったことがあったり言えなかったことがどんどんどんどん出てくるから、次また会いたくなったりするんだろうかー。

 

まだまだ覚悟はできそうにありません。

今年、私、ネジを一本外すんですよ。