これは、ずっとずっと思ってるんだけど

 

鏡でみる自分の顔

 

写真でみる自分の顔

 

アプリで撮る写真の顔

 

全部全部なんか違って見える。(´・_・`)

アプリは変わらせるためのものだからある意味合っているけれど、

 

鏡と写真違うなーとか。

左右差かな?瞳の関係?

何がなんだか詳しい点については

わからないけれど。

 

死ぬまで、自分の事を

側から目にすることなんてないよなー

なんて当たり前のおバカな事を考えたりもする。何か媒体を通してでないと自分の外見を確認できない。当たり前だけど

 

好きな人の前だけでは、前だけでも

可愛くいたい、可愛くありたいと願うばかりであったり

 

顔は変えれなくても、顔つきは変わるから

良い顔つきになって欲しいと願うばかりで

あったり

 

きっと内面が外に出るだろうから、繋がってるから外見しっかり整えよう、身だしなみとして、と考えたり。

 

願ったり思ったり考えたりすることは

山ほどあるんだけど、

 

人と対峙するときに私たちは何をみてるんだろうなー、とふと。

 

顔をみてる?

 

瞳をみてる?

 

表情をみてる?

 

空気感全体をみてる?

 

何をみてるんだろうね。

 

外見だけでなく、そんなことより

その人との、関係性や信頼感やエピソードを踏まえた上で、「その人」としてみてるのかな?どう思う?

 

写真で、アプリで、

こんなに盛って、これだけしか盛れなくて?、こんなにも盛って?

 

なにをみてるんだろー

 

まあ全ては自己満足だよって言ってしまえばそこで思考が止まってしまいそうだからもうちょっと考える。

 

相手に自分がどんな風に映ってるのか

はすごく興味深いけれど、

 

まずは自分がどんな風にいたいのかを

ちょっとゆっくり考えてみようかなー。

 

正すためには鏡が必要なわけで。

ありとあらゆる鏡を感じて、

いろんな事を正していこうと思う。

いろんな事が鏡であるというのは

私の好きな名言の一つから学んだし。

 

 

まあ、ただ

願わずにはいられないけどね。☺︎